
先日2月28日、新宿駅東口前の待ち合わせ場所の定番である商業施設「新宿アルタ」が閉館の日を迎え、45年の歴史に幕を閉じました。
最終営業日となったこの日には多くの人が足を止めて歴史的な閉館を惜しんでいました。
新宿駅東口駅前には人だかりができ、驚いた外国人観光客が『何が起きているのか』とスマホ翻訳機で周囲に聞いている姿もありました。
これは全国的なニュースになっており、ご存知の方も多いかと思います。
“若者カルチャーの発信” “笑っていいとものSTUDIOALTA” そういった文脈で語られる新宿アルタですが、当ブログでは『街の進化と活性化』の観点からアルタ以前の歴史と今後の未来像についてまとめさせていただきました。
○皆様覚えていますか?『食品の二幸』

(写真は著作権法の保護期間満了のものを使用しています)
この白黒写真、昭和37年ごろの国鉄新宿駅前広場です。
写真右手の「食料品は二幸」の看板がご確認できますでしょうか?
これがアルタの前身である二幸です。
覚えています?などと言っておきながら、私は今回初めて知りました。
関東大震災復興期である大正14年に、当時の三越マーケットが新宿追分交差点から移転し、食品デパートビルとして開業したのがこの場所であったとのこと。
それまでは運送会社さんのビルだったようです。
その後、昭和5年に『食料品の二幸』として改名され、昭和53年まで盛業されたとの事です。
二幸とは「海の幸、山の幸の二つの幸がそろっている」という意味で命名され、運営していた株式会社二幸は、現在のエムアイフードスタイル(クイーンズ伊勢丹)へと継承されています。(出典:紀伊国屋書店発行『新宿学(戸沼幸市編著)』)
サンペイ食堂でお子様ランチを食べて、二幸で買い物してトロリーバスで帰宅する。
そんな昭和の家族の姿が想い起されます。
その後、「既存のものに対する新しいもの、常に新しいモノを発信する」という意味合いで名付けられたShinjuku ALTAとして現在の姿へ建て直され、そのアルタが先日閉館いたしました。
蛇足ながら、不肖昭和キッズ私天野(山梨出身)は昼12時の「笑っていいとも!」を見たことはありませんでした。平日12時は学校でした。
アルタと言えば夕方12チャンネルの「レディス4」の方が馴染み深いです。
(注釈:レディス4は三越テレビショッピングを元とした生活情報番組。スタジオアルタで収録していました。レディス4の終わった夕方6時、同チャンネルでミニ四駆番組やファミコンゲーム番組を放送するので、小学校キッズ天野は帰宅後、即12チャンネルをつけてレディス4を見ていました。「立っているだけの四人女性のお仕事はなんだろう?肩パットもりもりで。」と素朴な疑問を思っていました。)
○今後のアルタ跡は?
新宿アルタの閉館は、街並みに大きな変化をもたらすこととなると思います。
今後の跡地利用や新たなランドマークの誕生に注目が集まりますが、現在のところ正式なアナウンスは一切なく、ホテルが建つともアミューズメント施設が企画されているなどと噂されています。
どういう形であっても、時代の求める姿に変わっていくことは間違いないと感じています。
街は新宿グランドターミナル構想のなか、あちこちで大型建て替え工事が進められています。今現在もアルタ周辺でも複数のビルが建て替え工事中です。
近くの「ルミネエスト新宿」も高さ約260mの高層ビルへと建て替え予定であると公開されています。
新宿駅の西口と東口を接続する新設デッキの東口側はこの新高層ビルを結ぶことになる見込みで、完成は2040年代を目指すとされています。
関東大震災後の食品館二幸から約100年、未来へと進み続けるこの街に立ち会えることに感謝し、小さな形でも貢献していければと改めて感じました。
2025.3.5
新宿営業課天野